実体経済を見ずに税金を注ぐことを経済だと、日本はバブル崩壊以降に立て直しに取り組まずに、国として言い続けた。
そして、バブル期以降を全て「失われた」ということにして否定、バブル期が日本の経済だということを意図的に錯覚して、30年間税金を投入して実体経済を無視し続けた。
銀行と政府間が、国債を内容として株の持ち合い的なことをしている。
これは、時代を逆行する動きではないか。
前回このブログ、「保守政治のポピュリズムと知的生産層の劣化」で触れたように、日本のタンス預金はピーク時に60兆円あったと言われているが、果たして個人が60兆円もの多額のマネーをタンス預金できるのだろうか。
そんなことは全く不可能であると言っていい。
では一体どういった理由でそんなに多額のタンス預金が存在したのだろうか。
外国の介在が存在するのではないか。
海外からの戦略による陰謀がその内容ではないか。
つまり、日本の経済転覆を目論んで、海外勢力が企んでやったことなのではないかと、私は思わずにはいられないのである。
アベノミクス期に、どれだけ国債を発行して新規増刷を繰り返しても、パンデミックのような時期があっても、デフレ経済に変化なかった。
それはアベノミクス期に、マネーをタンス預金することで、マネーを毎回デフレ状態にしておいて、そして金融緩和の方針に基づき新規増刷させていったのではないか。
タンス預金するから、どれだけ新規に増刷していってもデフレのままだったのではないか。
そしていつかその増刷されたのちに蓄えられたタンス預金のお金を、その背後にいた外国筋の特定の勢力が、一気に資金拠出してデフレからハイパーインフレに変化させ、日本の経済転覆を目論んでいたのではないか。
アベノミクス期のデフレが、そうした内情を持っていた可能性がある。
つまり、アベノミクス自身が海外からのそうした陰謀だったのではないかという、その可能性が意外とあり得るという可能性を、私は感じるのである。
アベノミクスは、国債発行して国に借金させ、その金銭を紙幣の新規増刷により賄っていたから、国民もこの国の誰も「痛み」を伴っていなかった。
だから日本は、アベノミクス期において、誰も負担を感じずに、いつか負担することになるという事実も受け入れずに、そして見ようとせずに、借金を経済だと言い続けた。
そして、国民も誰も痛みを伴わずに国にばかり負担を押し付けて、いつか負担することになるという事実を隠蔽したり、合理化して偽りの安定を味わいながら、いたずらにアベノミクスという悪を享受していたのだ。
だから、アベノミクスの原資のお金が、全く国民が負担しない形の、あるいは負担を感じない形であり、「血税」ですらなかったのだ。
誰もその借財を返そうとする責任を持とうとしないその姿勢は、甘え以外の何者でもない。
そして、一部の無茶苦茶の人々が言うような、「国の借金は払わないでいいんだ」という暴論に見られるように、その自分たちが作った借金を返すつもりすらないような酷い言論が幅を利かせていた様な状況が、一昔前までの日本の現状であった。
そこには大人としての責任と自覚が全く欠如している。
国への負担が目に見えない、或いは目に見えにくいということに甘えて、無制限で際限のない負担を国に押し付けていいんだという錯覚や甘えがその理由なのだろうが、勘違いも甚だしいと本当に思う。
国民も、政治家も、マスコミも、評論家も、学者も、役人も、多くの企業も、つまりほとんど全ての日本人が、「借金を見ない洗脳」を海外から受けて、さらに日本人同士で洗脳したりした結果、誰もその洗脳や悪に気づけていなかった。
アベノミクスという罪悪に溺れて、日本にとって史上かつて存在しなかったほどのその害悪を肯定してしまっていた。
そこにこの国の深い「病巣」が存在しているように思うのだ。
その挙げ句に、「国の借金は返さなくていい」というような、無茶苦茶なことを言い出している。
この原因は、この国の劣化ということだろうと思われる。
結局このような事態の原因は、この国の全てが、アベノミクスにより劣化したことを表している。
この国の指導者層や、知的生産層と、国民と、つまり全ての層の劣化と地盤沈下が、アベノミクスという洗脳の「後遺症」として、多額の1200兆円もの国と地方を合わせた負債とともに残された。
これは、まるであたかも日本の焦土のような惨状である。
日本の大半の構造とシステムが、海外筋や海外勢力からアベノミクス期に洗脳され、劣化したのだ。
そして、その状況からの結果として、今もその洗脳からの後遺症が残されていて、日本という国の大きな苦悩が示されている。
現在もこの苦境から逃れることができずに苦しみに喘いでいる。
しかしこの国はその根本的解決を図らずに、いつまでも派手な巨額の予算を出そうとしたり、ファッション的な派手な言説や政策という名のポピュリズム的手法を用いることに終始して、いつまでもその借金経済からの脱却のために本気で取り組むことを誰もしようとしない。
少なくとも堅実に借金返済に取り組む姿勢を見せようとしない。
そしてすぐにワイズスペンディングだとか、国の威信をかけるべき事業だとか、国際的位置の向上のためだとか、その都度様々な言い訳をして、安易に巨額の財政出動という名の税金を単に注ぎ込むという「政策」に回帰しようとする傾向の気配をこの国からは常に感じる。
きちんと、アベノミクス的な罪悪から明確な決別をして、そこからの脱却の歩みを続けることを、常に私たちは忘れてはならないのである。






