就職氷河期とは、1993年から2005年くらいまでの、1991年のバブル崩壊以降の不況の影響で就職難となった時代のことを指す。
失われた20年、30年は、就職氷河期、就職超氷河期時代、フリーター200万人時代、派遣労働、期間従業員、グッドウィル、業務請負、ニッソー、同一労働同一賃金などいろいろなキーワードがあった。
失われた20年、30年とは、1990年代のバブル崩壊後に訪れた不況、およそ1991年から2010年までが20年で、30年はさらに10年経った後でいわれた言葉である。
資産デフレによるバランスシートの悪化等「金融政策要因」、不良債権問題の先送り等「銀行機能低下要因」、日本的経営の失敗等「構造問題」、「財政政策要因」等の4つの具体的要因がある指摘している。
浜田宏一・堀内昭義・内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』(2004)
就職氷河期や就職超氷河期は、その失われた月日にあった。
フリーターは2003年に217万人に達した。
フリーター200万人時代というものもあった。
「同一労働同一賃金」が達成されているかは、まったく達成されていなかったというのが僕の実感だった。
自分が当時仕事にあぶれていた頃に、レンタルビデオ店でアルバイトしていたことがあるのだが、そこに職場の社員の人が訪れたときに、同僚のアルバイト全員が憧れの目線を送っていたのが印象的だった。
正社員に就きにくい世の中で、正社員に対するアルバイトからの無限で無条件の憧れのようなものがあった。
いわゆるそういう時代に関連するものの中に、派遣労働もあった。
僕もパソナの登録会に行ったけれども、女性の一般職の採用が中心で、男性は逆にハイクラスな人とか有力な有資格者とかが中心で、そのときも箸にも棒にもかからなかった。
その当時問題になった言葉で言うと、「需要と供給のミスマッチ」のような感じを受けていた。
日雇い派遣のグッドウィルのようなものもあった。
モバイルの携帯電話で仕事を探して、気軽に仕事を選べてオーダーするという形の日雇い派遣だ。
気楽に仕事を探せても、自分のキャリアにつながらないような、職務経歴にプラスにならないような仕事のあり方だった。
自分の人材的価値を向上させれれないような、末端の細部の業務を与えられて、安く買いたたかれているのではないかという印象を覚えていた。
「期間従業員」の募集などもそれと似た例だった。
ホテルでの登録会を催して登録するという形態で、安易でない実態であると思われるのに、安易に人を雇ってやめさせていたのではないかと感じる。
安い人件費にして、手軽に労働力を期間従業員ということで手に入れて、気軽に辞めさせているように見えていた。
ニッソーのようなシステムも印象的だった。
宿舎が用意されていたが、二交代制か何かで、労働自体は深夜労働もありすごくきつそうで、その宿舎にも実際にいれる時間は少なそうだった。
そういうニッソーとかグッドウィルとかは、製造業が空洞化している時代に、コストダウンのためとはいえ、後継者も育てずに「切り捨て」ていく仕組みに見えた。
また、そういうものに業務請負もあった。
コストカットを短絡的に実行するために、本当の価値ある物作りとか、長期的に継続して企業運営するという視点が欠如しているように見えた。
就職氷河期や超氷河期、フリーター200万人時代やらに特徴として、当時で言うと「需要と供給のミスマッチ」のような問題があるという感じを受けていた。
採用条件も、逆にものすごく細かく設定されていて、自分を採用してくれそうな企業がめったになさそうに映っていた。
一方で、その採用条件を細かくこだわりすぎることが、雇おうとする側も働こうとする側にも存在していたのではないだろうか。
需要と供給のミスマッチという社会的に問題とされていたことに、採用側も募集面接を受ける側もこだわりすぎて、『逆のミスマッチ」のようなことが起こっていたのではないだろうか。
つまり、採用側が、「即戦力採用」にこだわりすぎるあまり、供給側からのミスマッチを埋めようとして、採用条件を細かく設定しすぎて、逆にどんな人材も集まらないような事態を招いていたのではないか。
ああいう時代に流行った言葉の中に潜む、今挙げたような「罠」のようなものがあったのではないだろうか。
採用しようとする側にも、採用されたい側にも、フリーター200万人時代はとても不遇な時代だった。
とにかく、需要と供給のミスマッチというキーワードが社会の中に広まることで、社会が困難に陥っているように見えた。
採用条件を細かく設定して絞っていくことも大切かもしれないけれども、一方でそういう条件に合った人材を雇った後に自社で「育てていく」という視点も必要だったのではないだろうか。
いわゆる、需要と供給のミスマッチに加えて存在した、即戦力採用の罠だ。
派遣会社から既に条件に合致したできあがった人材を雇ってきて、正社員をほとんど雇わなかった、いわゆる派遣会社の偏重の問題というのも採用条件を細かく設定することで生まれれていたのではないだろうか。
表面的なコストカットの解決のために、給料の高い正社員を辞めさせて、派遣社員やアルバイトなどの非正規雇用を多用したことが、製造業のみならず日本の産業全体の「人材的空洞化」を生んでいったんだと思う。
今触れたように、日本の社会を機能不全に陥れたのは、需要と供給のミスマッチ、即戦力採用、派遣会社の偏重、安易なコストカットのためにリストラを多用した問題などの、主に4つの問題点が挙げられるのではないだろうか。
この4つの問題点が複雑に絡まり合うことで、日本の当時の社会をある意味機能不全に陥れていたのではないだろうか。
その後に生まれた安倍政権は、予算の多用により回復を印象づけたが、実際はマイナスマネーを経済に流し込んでいるだけだったから状況はさらに悪化していった。
正に、はかない、「幻の熱狂」の様相であった。
安倍政権、菅政権、岸田政権の前期の行っていた、アベノミクスをやめると経済がどうなるかは分からない点があったが、やめないと、実体経済にきちんと向き合わない姿勢がありそれが問題なのだから、功財政の健全化を行う方向性を示した岸田前首相の功績は大きい。
「失われた」20年、30年という失われたと名付けることそのものが、実体経済を受け入れずに認知しようとしない、日本人の精神性の問題点を示唆していると言えるだろう。