今回は、社会がいちように危ない方向へと向かっていく時のことについて記そうと思う。
日本で憲法改正というと、憲法9条改正を主に意味する。
憲法9条にも、他の項目にも、改正については僕は反対論者である。
しかし、9条改正ついては以前に他に記したので今回は割愛することとする。
日本の憲法改正の問題点は、そのメインである9条改正の際に同時に他の項目についてもどさくさに紛れて改正しようとすることに問題点がある。
ここでは、基本的人権に新しい基本的人権が必要だとして、悪い内容を付け加えたり、具体的には、制限や制約を加えようとする傾向があることについてを記そうと思う。
その後に、政界の裏金疑惑の際に、マスコミによる自民党への偏重報道があったことの危険について記そうと思う。
そして、そういった時代が危険な方向に向かう可能性のある、あるいはあった事実について触れようと思う。
では、具体的に述べていこう。
たまに日本で実際にも言われることがある緊急事態条項についてのように、緊急時に国家に強い権限を与えるべきだとする議論がある。
内閣総理大臣若しくは内閣が緊急事態と判断した場合に、法律ではなく政令によって、国家によって基本的人権の制限を行うことを可能とすることを、緊急事態条項と呼ぶ。
一応緊急時に国家が機動的に動くために、法律ではなく政令でという名目である。
法律ではなく政令でということで、きちんと議論が行われずに、機動的であるためという理由でだから粗雑な手順によって人権が制限を著しく受けてしまう可能性がある。
粗雑な手順になる理由は、法律でなく政令によって緊急事態条項に該当するかどうかを判断するからである。
だから危険なのである。
これをはじめて聞いた時に、僕は本当にそんな基本的人権の制限の可能性について話題になっていることにとても驚いたことを覚えている。
日本という国の傾向として、そういう緊急事態において最初どれだけ限定的だとしても、決定した事実をうやむやにして次第に範囲を拡張していき、基本的人権を常時に制限、制約するとしかねないことがあり得る。
あいまいに物事を扱う文化があるからだが、だから緊急事態条項を議論すること事態も、危険な世の中に向かっているというサインな気がする。
だから憲法改正は、日本では戦前の繰り返しになるからやめておくほうが得策だと、僕は考える。
日本はそういうふうな戦前に回帰することを、先の戦争犯罪への深い反省の精神に基づいて二度と戦争という惨劇を繰り返さない、という精神や論説の傾向を、再び取り戻すべき時期が訪れているのではないだろういか。
日本では昔に戦時に国民の権利が著しく制限された時代があるから、現在憲法改正がおこなわれる際、基本的人権の項目についての改正に、新しい内容に事実上の制限や制約を盛り込んだりする可能性がある。
かつ、何回も僕がXやWordPressブログで述べているように、憲法の改正自体も、単なる時流に乗っているだけで本質部分が存在しないから、日本ではすべきでない。
このようなことを分からずに、憲法の改正を主張していると、逆に改悪になって世の中が以前よりも余計に悪くなったりする結果になってしまう。
だから、そういう日本の傾向が、他にも自民党から政界全体へと発展していった裏金疑惑、つまり安倍派や二階派から発覚していった、裏金疑惑の報道の際のマスコミの、自民党に有利なような偏重報道を行った姿勢を見て、危機の際に法令遵守の傾向が乱れるのを見て危ぶんでいた。
理由は、日本的な政党であった自民党を守って、アメリカ的政党であった立憲民主党を中心とした野党からの自民党への追及を外したいという意図であっても、そういった遺法的な行為は許されるものではない。
マスコミはそういた偏重報道で、自民党の党内文化を情報として大量に流すことで、意図的に自民党の宣伝要素が強い放送を続けていた。
自民党に詳しい政治関係者を呼んで話をさせていたりするような形で、そういったことが行われている事実があった。
昔の旧民主党政権時や、野党として旧民主党が強かった時代に、自民党や日本的なものへの追い落とし等が激しかったから、日本を守るために、再びの自民党政権の転覆を避けたいと思ったからだとしても決して許される行為ではない。
旧民主党のおこなった悪については、過去書いたこともあり、本作の直接的な話の筋から外れる内容になるので、今回は割愛しておくことにする。
だから、憲法改正を行って緊急事態条項を改正するということが議論になってくる、危ない政治的土壌がある。
しかも、そういった緊急時の権利制限の危険性以外に、憲法改正の時流というのは、単にファッション的に振る舞うことにすぎないから、短絡的に行われるべきでない。
戦前は、国家のためということで国民の権利が様々な制限を受けた。
そして、それへの反省として日本国憲法が戦後に作られることとなった。
その経緯を今きちんと振り返り、時代が危険な方向に向かおうとする時に、きちんとそれを指摘し、訂正して、社会が悪く変わることを防いでゆく努力が必要なのではないだろうか。