厚生労働省は、日本の財政破綻をアベノミクスの手法で回避するために、パンデミック時にマイナスマネーの多額の拠出を行った。
あと、海外がタンス預金を一斉に出してきていたから、大幅なインフレーションが発生していた面もあった。
アベノミクスの悪い点には、借金を多額することと、その借金を誰も実感せずに安易に行ってしまうという2点がある。
その、安易にアベノミクスで借金が発生してしまっていた原因には、国債を日銀が引き受けて、そのお金を日銀自身が刷っているから、お金を集めるという過程における通常発生する労苦が、全く伴わない仕組みになっていたからがある。
そう言った理由で、大した実感を持たないままに、多額のマイナスマネーが何年もの間出され続けて、誰もその責任を取ろうとしなかった。
必然的に、国という目の見えないものに負担を押し付けていったから、多額、国家に負債が残されるという結果になった。
安倍政権だけでも、7年8ヶ月も期間があったから、本当に途方もないほどの借金が残される事となった。
国と地方合わせて、1200兆円という本当に巨額の負債だ。
当然、私たち国民の良心が疑われるぐらいのモラルの欠如と言ってもいいだろう。
明らかなポピュリズムの出現が、その借金についての理性の欠如が原因として示されていると言えるだろう。
全く財政というものについての意識が欠如している。
本当に悪しき慣習だと思うのは、財政問題について触れると、すぐに「財務省が洗脳している」ということを主張する習慣のようなものがあることだ。
実際は、財務省が洗脳しているのではなく、そういったことを言う評論家や政治家たちが国民を洗脳しているのが真実だ。
先に相手の非があるかのように訴えると、あたかも真実のように映り、自らの本当の非を隠せることができるという手法を使い、結構多くの評論家や政治家が述べているのが、国家にとって本当に悪でしかない。
財務省が洗脳していると言うことで、財務省が国の政治において機能しないようにさせるという露骨なやり方であり、本当に悪質だ。
日本の借金を冷静な視点で見つめると、到底これ以上の借金を重ねることは大きなリスクが伴うのに、そういった日本の環境において、財務省を機能麻痺させようとすることは、本当に酷いことだと言わざるを得ない。
そこに隠されているのは、権力にすり寄るよ言うな姿勢と、極度の利権主義だけでしかない。
その極致であり権力の象徴が、「桜を見る会」であった。
2019年4月13日に開催された桜を見る会では、かかった費用が当初の予算の実に3倍の約5518万円に上った。
洗脳されながら、マイナスマネーの巨額拠出での「最期の宴」の中で、国全体もそしてそれに所属する国民も熱狂の中にいたのがアベノミクスの時代の本質であった。
国が多額の借金を抱えて、財政の硬直化も進行していった。
身動きの取れない程の借金の渦の中で、今、現在も国と地方を合わせて1200兆円もの巨額の負債に苦しんでおり、一向にその現状に解決の糸口すら見つかっていない。
公共事業分野の不採算な体質が一向に改善されないままに、毎年多額の予算がたれ流しされ続けている。
広告や事業効果を多大に見積もるから、実際の効果との差額分が必ずマイナスとして現れる、そういった公共事業分野の赤字体質が全く改善されていない。
岸田政権時に決定された、5年で43兆円にも上る防衛費の増額も公共事業化しかかる現実がある。
計上された額が巨額であるから、公共事業と同様に巨額の利権が発生し、そのことにより赤字分野なのに新たな既得権益を生みかねない。
そうなれば、現在の公共事業の二の舞になる。
当たり前であるが、赤字は国にとっても、そこに生きる国民にとっても不幸なことである。
だから、「防衛分野の公共事業化」を、私たちは断固として防がねばならない。
赤字体質の分野が予算で固定費的になっていくと、必ず失敗してしまうことは全く自明の理である。
防衛分野が公共事業化されてしまうと、公共事業と同じ赤字体質だから、日本の借金が更に進んでいってしまう。
海外からの洗脳の構図による皮肉な形での最期の宴の季節と、皮肉な国家主義と熱狂の渦の中に、国のほとんど全てとほとんど全ての国民もいたのがアベノミクスという一つの時代であった。
そしてその権力の大きな象徴が、桜を見る会という一時期の儚い夢であり、そして皮肉なマイナスマネーによる熱狂の季節のアベノミクスの顕れであった。
正に「最期の宴」であった。