民意という名の暴力による旧民主党と小泉劇場

以下、僕はこの項目で、民意という名の暴力、大衆政治とポピュリズムとの比較、小泉政権の行った政治手法、アベノミクス等の各項目に対して、主に否定的な立場から民主主義の真実な形を表そうとしてこの論考を記している。

そのいずれも民主主義の形の特質が表れており、これらに批判的な視点から述べていくことで真の民主主義とは何かという結論に辿り着くことが可能となると考えている。

日本にかつて存在した、今の立憲民主党の流れの元の、民主党という政党は「民意という名の暴力」と「政策パッケージ文化」の二つの権力により、中央集権体制を形づくっていた。

そしてそれは、半ば「全体主義」や「大衆政治」の雰囲気もあった。

「民意という名の暴力」とは一般的には、多数派の意見や世論が絶対的な正義であるかのように扱われ、それに異を唱える少数派の意見や権利を排除・抑圧する状況を指す。

旧民主党は、民意の側に立つと吹聴することと、喧伝することで、その二つのやり方により正義を演出し、暴力をしていた。

特に民衆の側に基づいていると公言することで、権力集団を形成している傾向が強かった。

それは民主主義ではあるが中央集権体制的な傾向を示していた。

それは大衆政治につながるが、また単純な大衆政治とは別の、権威や権力を披露する面が存在した。

憧れのようなものを権力やそれの持つ権威に作り、民意を集めていく特徴があった。

民意というものだけを金科玉条のように強調するあまり、民意により権力を形成するという負の側面が出来てしまっていた。

正確には、負の側面というより故意の行動をして民意により横暴を行っていた。

つまり、意図して民意に基づく形で、中央集権的な体制、仕組みを作っていたのが日本の旧民主党であったという意味である。

もう一つの側面、「政策パッケージの文化」による中央集権体制作りの面について記していきたい。

個人が、まずどれだけ多くの政策を考えているかと、そしてそういう政策をどれだけ所持しているのかを良しとして、競い合う文化が、政策パッケージの文化で、そしてその政策を議員個人が党の中央執行本部に捧げて奉仕する、中央集権、或は全体主義に近い雰囲気を、僕はいつも日本の旧民主党を見
て感じていた。

全体のために個人が奉仕することが全体主義の意味だから、議員個人が中央に或意味滅私奉公していることは、全体主義と言っても過言はないと言えるのではないだろうか。

政策は、信条的意味のものというより、よく見ていると旧民主党が言っていたのは、「政策パッケージ」の意味の政策であったと理解することができる。

だから、披露するようなスマートなパフォーマンスをするような性質が当時の日本政治の傾向として現在より強く、かつ表面だけのファッション主義でもあった。

以下に格好良く国会やテレビ放送等で政策を述べて披露するかが良いとされている時代の風潮があった。

政策パッケージというものは、意識の持ち方や意識改革を言わない傾向がある。

現在もその動きは続いている。

政策パッケージ化された整えられた言説のスマートなものを出すことで、そのことを金科玉条のように考え、扱っていた傾向は昔より薄れてはいるものの、政策文化、或はファッション的な政策パッケージ文化として定着してしまっているのではないだろうか。

事実上日本の政策とは、意識の持ち方やあり方のスタンスや、意識改革を実際的な意味では言わない。

あえて意識改革を政策として扱うためには、小泉政権の言っていたような「痛み」というような言葉を別途使用することになるのだろう。

そして「痛みに耐える」ことを国民に呼びかけることで意識改革を半ば政策化したのだと思われる。

意識改革とは、一般的に、個人や組織が持つ従来の考え方や価値観を見直し、新たなものへと変えることを指す。

そのためには、そして「なぜ意識改革が必要なのか」と、目的の共有を国の場合には国民に促すことが重要である。

そして、国と国民が一体となって取り組むことが不可欠である。

その意識改革についての、国全体で一体となって取り組むことと、意識改革についての目的意識を持たせ目的を国民と共有することを、小泉改革では「痛みに耐える」ことを国民に呼びかけることと、街頭演説で熱狂の中で述べ立てることで具現化したのだと言うことができるだろう。

つまり、痛みに耐えろと言うことで共同で体験するという意識を作り、かつ街頭演説でそのモチベーションを向上させたのだと言うことができるだろう。

この、「痛みに耐えろ」と呼びかけるということと、街頭演説で国民に直接訴えかけるという二つの手法により、先に述べた、一体感と目的意識の共有を演出することを可能とし、その驚異の高支持率を達成したのである。

郵政民営化や国債30兆円枠等具体的政策はほとんど全くのまやかしのイメージに過ぎなかったが、意識改革のために用いた前述した二つの手法は、意識改革に必要な、一体感と目的意識の共有という条件を完全に満たすものであったと言うことができるのではないだろうか。

小泉改革の具体的内容についての記述は後に譲ることとする。

熱狂的な演説で、痛みについての呼びかけを更に増幅させる演出を行い、偉大な改革者として小泉純一郎は自身を印象づけたが、その具体的内容には乏しく、具体策については単なる絵に描いた餅に過ぎなかった。

具体策については後にいつか述べることとし、ここではその二つの手法について扱うこととする。

具体的内容の一端を示すと、「官から民へ」、「三位一体の改革」、「中央から地方へ」等がある。

新自由主義経済の小さな政府論から生まれたもので、「聖域なき構造改革」という標語だった。

郵政民営化は利権の銀行への移し替えに過ぎなかった。

後に郵政解体だけでなく、サラ金も解体され銀行に移し替えられた。

中曽根康弘の国鉄民営化のテーマを単に移し替えただけであった。

かつ中曽根康弘と小泉純一郎が親しかったことは有名な事実であった。

派閥の会合にも出席していたし、30兆円枠も一回しか達成されなかった。

三位一体の改革とは、「国庫補助金負担の廃止・縮減」、「税財源の移譲」、「地方交付税の一体的な見直し」を指す。

話を元の手法論について戻そう。

街頭演説をすることで、冷静な判断を行うという意識に基づくのではなく、熱狂の雰囲気の中、或意味麻痺を起こした感覚に基づいての激情的な意識に基づいて判断していた感が当時の日本国民に存在していたのではないだろうか。

それが、街頭演説の負の側面である。

一方で、街頭演説が国民と一体感を持たせ、目的意識の共有等を可能とした正の側面は先程述べた通りである。

その負の側面について簡潔に述べると、冷静さでなく、激情的な感情的な判断基準を当時の日本国民は用いていたと感じるのである。

もっと僕たち日本国民側に、冷静な論理に基づいた判断が必要だったのではないだろうか。

その場その場の感情的雰囲気に流されるのではなく、落ち着いた、理屈でじっくり時間をかけて考えるような姿勢が、僕たち日本人の当時にもっと必要だったのではないだろうか。

銀行は、郵政とサラ金を解体して利益を得たり、不良債権問題への対応策として「金融システムの安定化」と企業への貸し付けを渋ることへの緩和のためという理由で、公的資金を投入、いわゆる政府による銀行への「資本注入」により税金を得ていた。

それは不良債権問題によって生まれた貸し渋りの解消等のために、銀行を救済することが、そしてそのことによる金融システムの安定化が日本経済にとって不可欠だという判断や認識が、当時の政府や国に存在したからであると言うことができる。

そして銀行の経営の健全性を回復させる目的で、2003年にはりそな銀行に1兆9600億円もの公的資金が投入され国有化された。

とにかく、銀行を救済することそのものが必要だったかどうかというより、僕たち国民がもっときちんとした冷静な基準で判断すべきであったと思う。

そして、単に熱狂的な雰囲気に呑まれるという事態を避けるべきだったのではないだろうか。

僕はだから小泉純一郎の手法は評価しても、その大半の政策はあまり評価しない立場である。

だから、意識改革を日本で問うた政策として、意識改革を扱ったという成果としては、小泉政権は評価に値すると考える。

つまり、国民に改革の痛みに耐えることを伝えた点は評価に値すると言うことができるだろう。

意識改革を政策としたまれな事例として小泉内閣を挙げて説明した。

民主主義の形として、日本の旧民主党のような、中央集権体制や全体主義的、大衆政治の性質を持った事例があることもそれに付け加えて示した。
以上が、旧民主党政権の事例と小泉改革の事例についての、僕の見解である。

以下に、大衆政治とポピュリズムの社会や政治形態としての違いを記そうと思う。

大衆とは、ウィキペディアによると、「社会を占める『大多数の・大勢を占める』とされる人々、またはそれに属する個人」を扱う言葉である。

そして「己の優位性を喧伝するために、他を貶める意図で用いられる」とある。

一方で、ポピュリズムとは、大衆迎合主義と訳され、「大衆の情緒や感情に訴え、支持を得ようとする政治姿勢」について用いられる。(「野村證券証券用語解説集」より)

ポピュリズムは、日経新聞によると、「大衆から人気を得ることを第一とする」から体裁は民主主義の形式、形態をとっているが、多数を意識することを優先するあまり、極右化するケースがフランスの例にあったり、過激な傾向を示す事例も存在する。

極右の例だけでなく私見であるが、日本のれいわ新選組の例のようにポピュリズム的左翼という例も存在する。

過大なバラマキというようなそういった保守的ポピュリズム的左翼の政党の例も存在する。

ポピュリズムは大衆に迎合していても、大衆を揶揄していない。

一方で大衆政治は大衆をよく扱う時があっても大衆を蔑視しているという違いがあるのではないだろうか。

この大衆政治の性質は、先程述べたウィキペディアの「己の優位性を喧伝するために、他を貶める意図で用いられる」という記述から、「大衆という名で、蔑視する目線が民衆に対して用いられることが理解できる」と言うことができるだろう。

そして、アメリカではブッシュ政権の辺りまでを大衆政治といっている向きがあったが、かつ一方でポピュリストと呼ばれる政治家の中にトランプや橋下徹等、本来は真摯に民衆と向き合っている真の民主政治を希求している人を批判するために用いられる場合があるように思われる。

ウィキペディアで見ても、最近のポピュリズムの意味の変遷を辿ると一定の傾向があるように見受けられる。

先ほどの昔にあった大衆政治とポピュリズムに基づいた政治との比較で分かるように、大衆政治が民衆を大衆として扱い蔑視しているが、最近のポピュリズム政治という領域が民衆を嘲っていない等、昔のイラク戦争前後やアフガニスタンが悲惨だった頃にあった政治的に最悪の状況を、今日の政治は傾向として若干脱した雰囲気がある。

つまり、最新の民主政治を取り巻く環境が、昔の大衆政治の頃と比べて、仮にポピュリズムであるとしても多少改善してきている感がある。

あのブッシュ政治の頃の、ターゲットとされたイスラムの人たちが理由があるにせよ追い詰められて葬り去られるのを多数見ている中で「魔女狩り」のような社会的雰囲気を強く当時感じていた。

果たしてそれは僕の感覚に限定されていたのであろうか。

実際は多くの人もニュース等を見ていて感じていたはずである。

何もテロリストのようなことをしていない自分でも、ニュースでモスクに出入りしていた人が追い詰められていく例を多数見て、いつか自分も追い詰められてしまうのではないかと不安を覚えていた。

果たしてそれは僕だけの感覚に限ったものであっただろうか。

当時の社会不安として、ある程度一般的な感覚として、僕以外にも存在していたのではないだろうか。

「左翼と評論と社会批評」や「保守政治のポピュリズムとエリート層の劣化」や「時代が危険な方向に向かう時」等で述べたように、日本の場合社会の
特質として、他国と比較してより社会の画一化や同質化をその社会の成員に強いる場合が存在するように思われる。

だから日本の場合も、当時のアメリカ程でなくても要注意人物っぽい人を探したりするような「社会的風潮」が多少なりとも当時存在していた。

同様に安倍政権においてもそういった傾向は存在していた。

ただし、安倍政権はポピュリズム政治的ではあったが、大衆政治とはまた傾向が異なっていた。

先程述べたように、その違いは人民への蔑視の目線があるかないかの違いであった。

蔑視する傾向がある方が大衆政治であり、蔑視の目線が比較的少ないのかない方がポピュリズム政治であった。

つまり、安倍政権の方が日本の旧民主党の行った政治よりまだマシだったという事が僕自身の認識である。

このことは特筆しておく必要があるのでここで示した。

ただし、アベノミクスという安倍政権、菅政権、そして岸田政権の途中まで続いた経済政策が財政に与えた影響には甚大なものがあり、大きな疑問を僕が持っていることも同時にここに示しておく必要がある。

したがってアベノミクスが日本の財政を破壊したという事実を、決して軽視するつもりはない。

アベノミクスのそういった負の意味でのツケが今日本に回ってきている事実を、僕たち日本国民は直視すべきである。

そして、アベノミクスによりかつての日本の国家主義政党であった自民党自身が、日本の財政潰しをして、その結果凋落していったという事実はまた否定できないと言うことができるだろう。

とにかく、安倍政権の性質はポピュリズム的な性質であった。

だから民主主義の健全なものとは異なった、歪んだものであったと言うことができるだろう。

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