日本の国家主義政党であった自民党は、安倍政権の行った、いわゆるアベノミクスにより政権能力を潜在的に失った。
安倍政権が自民党の旧民主党化を進める結果になったという言い方もできるだろう。
国が破綻するほどの借金を日本が抱える素地を、政官財のみならず、マスコミ、評論家も主導して作ってしまった。
その熱狂した雰囲気はまるで日本が洗脳され、集団催眠にかかっていたかの様であった。
本質はしかし、好景気であったのではなく、税金で株高を支えるという、経済の自由主義と大幅に異なり矛盾する動きであった。
つまり、インフレ化をさせるためにお金を市場にインプットしてゆくというのは口実であって、実際は税金を株高という形で株式市場に投入して株高を支えるということが真のその目的とするところであった。
それを異次元の金融緩和という名目にして、物価上昇率2%以上を目指すという聞こえのいい感じのパッケージを付けているだけであった。
その結果、日銀の国債保有比率は政権発足時には11.5%だったのが、20年3月末には47.2%にまで膨れ上がっている。(「安倍政権がやった『掟破り』総決算!ーーそのツケは誰が払うのか?」岩崎博充 Yahooニュース2020年9月13日)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/741f676ec8aba669307fc86f5947b2c9564e97e3
だから、その皮肉な結果として海外的な旧民主党系野党と政権担当能力がフラット化し日本型2大政党制が完成した。
そう言っていいと思える程、自民党の凋落ぶりは激しかった。
自らが日本の保守本流だったという誇りを捨ててしまったかのようなアベノミクスの本質は、「自民党政権の終わりの始まり」であったと言っても過言でないかもしれない。
私自身はだから岸田政権の行なった、アベノミクスを終焉させることが、首相であった岸田文雄前首相の正に英断であったと思っている。
だから自民党を完全否定するつもりなのではない。
ただ、自民党が日本のことをきちんと考えるなら、決してアベノミクスの様なことをするべきでなかった指摘しているのである。
そして、アベノミクスが日本を破壊する結果となることを知りながら、自民党が確信犯的に行なったのだと指摘しているのである。
それにさらに悲惨だったのは、政官財界も、マスコミも評論家の大半もその動きに乗ってしまっていたことである。
まるで、日本国中がアベノミクスという洗脳一色に染まっているかのような7年8ヶ月であった。
岸田文雄首相の決断以降に、マスコミや評論家も手のひらを返したかのように、過去の言い分を取り下げて、一斉にアベノミクス批判をはじめた。
本当に日本のことを考えている人が、この国に一体どれぐらいいるのだろうか。
甚だ疑問である。
以前私がこのブログで述べた、物事を認識する際の「思考の軸」というものをきちんと持てている人が少ないからだろう。
自分の頭でものを考えて、判断してゆくということにあまり重要性を感じていないか、正確な認識を持つことにあまり価値を置いていないからだろう。
日本がよく言われるように、一度社会が一定方向に流れ出したら誰も止められないことがあるということも、その「思考の軸」が往々にしてなおざりにされているからに見える。
批判する人というのを村八分のように排除して、社会が一色に染まってゆく、そういう危険が大きくなる日本の社会的特徴がある。
一言で言うと、アベノミクスは「戦後日本政治最大のポピュリズム」であった、ということであろう。
とにかく、そういった自民党が史上最大のポピュリズムに染まっている中で、自民党の潜在的な国家主義的性質が欠落していった。
そして、最近で日本型二大政党政治が確立したのではないかと、私は考えている。
或は、その基礎が作られたのではないかと思っている。
このように、日本の国家主義政党であった自民党の凋落によって日本の二大政党制が成立、確立したということは、日本国民にとってまことに皮肉な結果だった。